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SR-71 Blackbird
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私がSR-71Aブラックバードを撮ることのできたのは、1977年~1979年の3年間だけであったのであの姿をもう一度見たいという気持ちが今でも強い。1998年に完全に引退してしまった飛行機であるため、博物館へ行かねばみる事は出来ないが、すでに飛べないSR-71ではあまり魅力がない。はやり、あの馬鹿でかいエンジンから溢れる轟音と地を這う様なタキシング、大空を切り裂くダイナミックは飛行シーンが忘れられない。

わざわざ、この引退したSR-71を見るために遥々アメリカ本土まで行ったわけではないが、カルフォルニア州のパームディールにSR-71の集積された展示場があると聞き、ネリスの航空ショーに行く道すがら寄ってみる事にしたのだ。隣接するNASAの施設でたまたま見かけたB-747SP”SOFIA”を撮ってから、車で5分ほどで到着した。(2021/4 記)

地図を頼りに漸く見つけた展示会場、土日以外はオープンしていないのにウェークディに行った我々は、上写真のように柵の外から撮影である。青い背中が、有名なフニュフニュ君である。スケジュール立案と進行管理は彼の得意分野で、みんな頼りにしているのだ。

USAFでマッハ3以上のスピードを出したパイロットのみが加入出来る「マッハ3 クラブ」と言うのがあるらしい。そのメンバーがボランティアで公園を管理しているので土日しか運営していないのだそうだ。アメリカ社会はそう言うボランティア活動がしっかりできている。とてもえらい!しかし、アメリカ人は何やかんやとクラブを作るのも好きだ・・・余計な話だが「マイルハイ・クラブ」という集まりもあるらしい。何と・・飛んでいる飛行機上でセックスを体験した者だけが加入できるクラブらしいが、どんな連中が集まるのか見てみたいものである。因みにフニュフニュ君は会員ではないそうである。意外だな・・近くには、NASAの研究施設やエプロン・航空機もあって、ロッキード社の本拠地もここだ。ここで生まれたSR-71の展示場としては適地である。

プラット&ホイットニー社のJ58エンジン、ターボエンジンでアフターバーナー付。アメリカ空軍にとって初めてマッハ3を出したエンジンらしいが、やはり馬鹿でかい。このエンジンに使用される燃料はきわめて発火性の低い良くく言えば安全性の高い燃料”JP-7”を使っていた。相当温度が上がらないと完全な液状にならないそうで、専用の空中給油機KC-135Q型を使って給油していた。1基の出力は34000ポンド(142KN)、2基で1時間当たり30000ℓの燃料を使うそうである。因みにF-16のF-100エンジンはフルアフターバーナー時で19400ポンド(129KN)だから、強力なのが判る。

D-21無人偵察機はマッハ3.3を記録した機体で、ご覧のようにエンジンに直接羽だけが生えているようなスタイルをしている。これを積む母機がM-21と言うSR-71の姉妹飛行機なのだが、これはシアトルの博物館に行かないと見れないようだ。2機作られたM-21のもう1機は、D-21を空中で切り離す際に接触して墜落したそうである。でも この形を見ると現代のステルス機にも通じるようなコンセプトで造られており、当時のアメリカの卓越した技術力には驚かされる。

嘉手納基地でも数十メートルまでは近づいて撮影できたが、SR-71が目の前にあるとそれなりの迫力を感じるものだ。私にとってはSR-71とは40年以上のご無沙汰である。2機のSR-71と1基のU-2、それにSR-71Aが積んでいたD-21無人偵察機などが展示されている。ほとんど雨の降らないモハービ砂漠での屋外展示では、空気も乾燥しているため機体に傷みは目立たないが、やはり屋内展示に比べどこか埃っぽいのは確かである。

スカンク・ワークス